【友好交流町】高知県越知町


高知県越知町と北海道滝上町の交流は、
平成9年に滝上高知県人会発足を契機として交流が始まり、相互交流を重ねてきました。
この間両町の交流が深まり、平成13年7月に友好交流町調印を交わすことになりました。
以来、両町の地域間交流の推進を図り、視察や道の駅、お祭りなどで双方の地場産品の
販売をするなど交流を深めています。

越知町とは


高知県高岡郡越知町高知県の中央部に位置し、北緯33度32分、東経133度15分にあります。
四国の屋根、石鎚山系の山々に囲まれ、清流仁淀川の波光のきらめきが明るい自然豊かな町です。
日本で最も古い地質の横倉山は町のシンボルとなっています。
また、越知町には多くの伝説が残っています。
それは千年前のこと…横倉山のはじめは、土佐国の室津の別府権九郎経基が開拓したことから。
平安中期、957年には、大和国から蔵王権現を勧請して、
横倉山は役小角開基の金峯山修験道の霊場として栄えたといわれています。
1444年には蔵王大権現を三嶽山に移し横蔵権現宮と改称。
ここから、三嶽山は横蔵山とよばれるようになりました。
数ある安徳天皇潜幸伝説の中でも最も有力なのが、横倉山潜幸伝説です。
安徳天皇は高倉天皇の第一皇子で母は平清盛の娘徳子「建礼門院」。
弱冠3歳で天皇の位につかれましたが、源平の争いにまき込まれ、
壇ノ浦合戦の際、四国路へ秘かに難を逃れられました。
急峻な四国山地の尾根を転々とした末、やっとの思いでたどりついたのがこの横倉山でした。
帝のために蹴鞠場、馬場、弓場などが設けられ、不自由な山中暮らしに耐えておられましたが、
病床に伏せられ、23歳で無念の崩御をされたということです。
山全体が歴史という神秘のベールに包まれて、いつの時代も人々を魅了し続けてきたのです。

越知町の見どころ

清流仁淀川、日本で最も古い地質である横倉山、どこか懐かしく穏やかな風景。
豊かな自然がありのままに残る越知町には、ゆっくりとした時間が流れています。
多くの伝説にも彩られた、神秘とロマンの町、越知町。ここでは、その魅力をご紹介します。

・横倉山 自然の森博物館

・清流・仁淀川 沈下橋

・大樽の滝

・コスモスまつり

・観光物産館 おち駅


詳しくは越知町観光協会ホームページをご覧ください。
http://www.ochi-kankou.jp/

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